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『笑顔はプライスレス』

土曜日。アキバの中央通りはいつものように熱気に包まれている。
いや、いつも以上かもしれない──遠海悟は歩道の一角に目を向けた。人だかりができている。
「あれ、なんだろうな?」
悟は友人に声をかけた。彼の隣を友人の織部雅史はうつむき加減に歩いている。
「ああ……」
雅史は落胆の声をあげた。彼は話題のリアルタイムエロゲー、「サドプラス」をプレイしていたところだった。
「また断られてバッドエンドだ……」
「なにが?」
「いや、僕の嫁が生理だと言うんでね。「じゃあ後ろの穴で」という選択肢を選んだんだけど……」
くそ、月イチでバッドエンドだ──ぶつぶつとつぶやきながら、彼はようやく顔を上げた。
「すごい人だね。コスプレかなんかのパフォーマンスかな? 暇だねぇ、みんな」
三次は惨事と放言してはばからない雅史はあまり興味もなさそうだった。
「とりあえず、行ってみようぜ」
人の間を器用に縫いながら、人だかりの中心へ。
するとなんと、中心に立っていたのは知り合いの少女だった。
「あら」
彼女──ルキア・ルミナス・スイレンはめざとく見つけると、よそ行きの笑顔を向けてきた。
「奇遇ですわね。いえ、そうでもないのかしら? 場所柄から言って」
悟は一瞬のうちに注目の的となった。その視線には幾分の敵意が含まれているようだ。
それを気にしないようにして、悟はルキアに訊ねた。
「なにやってるんだ?」
「アルバイトですの」
「アルバイト……?」
それで気がついたが、ルキアが立っているのはキャラクター喫茶「月石」の目の前だった。
「今のわたしはマギウス・マリエル・ブリジット。ふふ、いい名前でしょう?」
本名も似たようなものだ。
「そうそ。二人とも、ちょうどよかった」
「ん?」
「わたし、そろそろバイトが終わるんですの。ちょっと、付き合ってくださらない?」
「え?」
「じゃあほら、お店の中で「特濃こくまろみるく珈琲」でも飲んで、待っていて」
強引に背中を押され、二人は店内に入った。
「いらっしゃいませー!」
ルキアとはまた異なるコスプレをした店員が、元気よく迎え入れてくれる。
テーブルに落ち着くと雅史が言った。
「頃合いを見て僕は退散するよ」
「え、なんで?」
「邪魔しちゃ悪いし」
「邪魔って……おい、俺たちはべつにそんな関係じゃないぞ」
「それに、早くショップに行きたいんだ。「最終肛帝 アナルストゥス」が売り切れると困るからね」
結局、そっちがおもな理由らしい。

「あら、帰ってしまったの。案内は多い方がよかったのだけれど」
「案内?」
30分ほどして、仕事を終えたルキアがやってきた。
「アキバのです。バイトも社会勉強みたいなもので、お金のためではないんですよ」
「それをこれからして欲しいと?」
「ええ」
「えー、面倒だな」
雅史と違って目当てのゲームがあったわけではないが、ショップ周りはしたいところだった。
「面倒なことはありませんよ。悟さんは普段通りで構いません」
「どういう意味?」
「あなたのことだからどうせ目的はエロゲーショップめぐり。そうでしょう?」
相変わらずズバズバとものを言う。悟はうなずいた。
「それにわたしもついていくということです」
「えっ……本気か?」
「もちろん。なにせわたしは愛天使。世の男子の動向について、調査は欠かせません」
「だからってエロゲー?」
「最近は二次元に現実が浸食されつつあると聞きます。ただのキャラを「俺の嫁」などと称したり」
耳が痛い。
「将を射んとすればまず馬から。わたしは今、エロゲー殲滅計画を練っているところですわ」
「……やめてくれ」
下手なことをされては敵わないと、結局案内することにした。
「ふふ、安心して。あとでちゃんと、バイト代は出しますわ」
「え、要らないよ、そんな……」
「まあまあ。遠慮はしないことです」
あれこれ言いあっているうちに業界最大手「祖父地図」についてしまった。
「あらまあ。店内がすごいことになっていますわね。人がぎゅう詰め……」
「月末だからな」
「関係あるんですか?」
「エロゲーは月末に大量投下されるんだ。基礎知識だぜ」
オタクにありがちな態度、すなわちぺらぺらと情報を喋りながら、店内を進んでいく。
「調査」というのはどうやら本気らしく、ルキアはおとなしくついてきた。
男性ばかりの店内は、突然の美少女の来訪にやや浮き足立っている。だがルキアは気にならないようだ。
バイト姿も板に付いていたし、彼女はなにかにつけ自信家だ。見られてむしろ嬉しいのかもしれない。
「これがエロゲー……ふうん……」
調査とはいえやはり気恥ずかしいようで、次第に耳が赤くなってきた。
「こんなファンタジー世界にうつつを抜かして……それは現実から離れていくわけですわ……」
「ファンタジーとか言わないでくれぇ……」
──むしろモニターの中にこそリアルがあるんだよ!
「サドプラス」を買った当日、友人の雅史が御来迎を見つめるような眼差しで断言していたのを思い出した。
「悟さんもむしろ二次元の世界で生きたいんですか?」
気づかわしげに訊ねてくる。悟は返答に迷った。
というのは、愛天使は現実の恋愛を後押しする存在だという。
その点についてルキアは悟を心配している。それは彼にもわかっている。
だがそうした事情を抜きにしても──。
「そこまでは言わないけど」
「安心しましたわ」
ルキアはほほえんだ。

それから何軒か周り、喉が渇いたというので再び喫茶店の「月石」に戻ってきた。
「そうそう、バイト代ですけれど」
ルキアはテーブルに肘をつくと、手のひらに顎をのせ、にこっと笑った。
「はい、どうぞ」
「えっ……?」
もしやキス? しかし、まさか。俺も「サドプラス」のやりすぎなんだろうか?
「このお店ではスマイルが300円なんです。マクドも真っ青ですわね」
「……は?」
「ちょっと安すぎかしら? けどまあ、これは個人的なスマイルですからね。プライスレスな価値があります」
悟がなにも言えずにいると、ルキアは勘違いしたらしく、ニコニコと笑い続けた。
──まったくこの子は。
自信過剰にもほどがある。しかし、不思議と憎めないのも事実だった。
注文のクリームソーダを美味しそうに飲むルキアを、悟はほほえましい気分で見つめていた。
「これ、おごりですわよね?」
……いや、やっぱり憎たらしい。


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